鹿教湯に住むってこと その2
9月になって入れ替わるように急に冷えてきました。
夜は完全に秋ですね。
こたつ用の布団やら、ストーブなど早めに購入する目途をたてた方がいいかもしれません。
25の男、田舎へ(だれが)
前回の予告通り「だれが」、つまり僕の説明をさせていただきます。
ただの自己紹介とも言えますので、興味がなければ読み飛ばしてください。
さて、再確認としまして、僕は全国各地で募集されている、
「地域おこし協力隊」であり、「上田市の丸子地区」を担当しています。
住んでいる場所が、丸子の端っこ「鹿教湯温泉」。
着任したのは、今年の7月1日からの新米です。
前回の記事を読んでいただいた方は、ご承知いただいているとは思いますが、
丸子、とくに鹿教湯は田舎です。
少なくとも、大阪の会社に電車10分で行ける環境に住んでいた僕にとっては、完全に未開の地。
そんなもんだから、鹿教湯の皆さんからは、
「何で来たの?」
うーん。
文字だけだと愕然とする言葉ですね。
この言葉を聞かされるたび、
自分がなぜ上田市を選んだか、そもそもなぜ地域おこし協力隊に参加したのか、
深く考え振り返ることができます。
なぜ上田市か?
僕は地域おこし協力隊に就職する際、募集しているほぼ全国の地区を調べました。
中には実際に行ってみて確認したものもあります。
そしていくつか候補を絞っていきました。
・歴史的シンボルがある。
・そこまで交通の便が悪くない。
・すでに地域おこし協力隊が着任しており、業務内容がはっきりしている。
それでも、最後は3つ候補が残ったのですが、あとは完全に直感ですね。
上田市に決めました。
結果、人も気候にも恵まれた良い環境で働かせていただいております。
住んでみないと、内情は分からんもんです。
地域おこし協力隊
そもそもこの地域おこし協力隊ってなんやねん、って話ですよね。
実は国(総務省)の事業として勧められている、割とキチンとした職なんですよ。
非正規の公務員になると言えば簡単でしょうか。
仕事の内容は、その名が表すとおり。
人口が少なくなったり、高齢化が進んでいたりする地域で農業、観光、福祉、教育、伝統工業・行事などに協力し、発展と掘り下げを行う、
まさに「地域」を「興す」「協力隊」なわけです。
そんな立場にありますので、家賃やら車やらに補助(タダ)があり、
業務も自分だけのタイムスケジュールを持つことができる等、
かなり生活に寄った職と言えます。
おまけに任期は3年程度。
次を考えるには十分な時間かと思います。
もちろん活動内容、自由度は自治体によって異なりますが、
なかなか魅力的な職ではありませんか。
まあ実情は、とにかく一人でも多く地域に人材を増やしたい。
あわよくば成功してもらいたい、といったところかもしれません。
(ネットでも成功例、失敗例が同じくらい上がっています。
中には、「騙されるな!」なんてのも)
25歳
僕は転職して、地域おこし協力隊の職につきました。
広告代理店営業。25歳。
社会的に新人としか言えない肩書きです。
正直僕も転職は早いと考えました。
ただ30歳までは後5年。
このまま広告代理店続けて、嫌々営業のスキルを磨いて中年になる。
忙しくてまともな休みも取れず金だけ稼ぐ生活。
楽しいもんなのかなぁ。
20代の間に、もっといろんな事やりたいよなぁ。
と考えていたところに、任期は3年で、時間の自由がきく職が降ってきたのです。
一人暮らしもしたことがない、車の運転もペーパーな僕にとっては、
すべてが逆転するセンセーショナルな出会いでした。
そして出会いとほぼ同時に転職活動に移り、上田に決めました。
たとえ3年たっても、まだ30まで2年あるわけですから。
大阪から長野へ
東京からのほうが「都会から田舎に移り、心の輝きを取り戻すサクセスストーリー」の題材として良いでしょうか?
まあ贅沢は言えませんし、そんなに心は荒んでませんし、
そもそも小説を書くわけでもない訳ですから、どうでもいいことです。
さて、やはり都会からの移動というと生活は一変しました。
車を使わなくちゃ碌な買い物もできない。
遊び場もない。
虫多い。
他に挙げれば、不便な点は数え切れませんが、僕にとってはあまり関係ないことでした。なにせ自分の生活を変えるために上田に来たのですから、
文句を言うわけにはいかないので。
それでも、最初のうちは何をそろえればいいのか? どこへ行けばいいのか?
車の運転の仕方? 水道、電気、ガス、保険。炊事、洗濯、部屋掃除とあれこれ問題が降ってきて戸惑いました。
田舎に暮らす不便というより、初めての一人暮らしの問題ですけどね。
そして、上田・鹿教湯に来てもっともよかった点は、
人が多すぎない、というところです。
町として静かすぎるのは問題ですが、住む場所でいうのならば、東京のようにそこまで町がうるさい必要はありません。
そして鹿教湯というくくりで見れば、範囲が狭いので、人を知る機会が増えるということが利点です。
この人を知るというのは、「知りあう」ということではなく「どんな人物なのか」ということを見極める事ができるということです。
都会でも仕事場などの狭いくくりであれば可能なことですが、
同じ町に住む人間同士、相手がどんな人物かを理解するのは、都会ではまず機会がないでしょう。
例えば、この文章を読んでいるあなたは、
家の隣四方すべての隣人を思いだせるでしょうか?
まあ、今の僕の家はアパートの角なので、簡単なんですけどね。
さて、結局自己紹介だけで終わってしまいました。
次回は、そんな僕が上田・鹿教湯で「どうしているか」。
何ができて、何をしてもらえるかの部分を書きたいと思います。
では、また!