上田市地域おこし協力隊卒業 ありがとうございました。
「石の上にも3年」という言葉があるとおり、何事も3年くらい頑張れば多少なりとも成果がでるもの。
そういった認識があるのではないかと思います。
就職なんかでも「3年間つとめる」ことが、その人の根気や甲斐を表す一つの基準になっていて、
転職する暗黙の条件(現在はそうでもないようです)と聞きますから、
一つの仕事を習熟するには、それだけ時間と手間がかかるのでしょう。
私が地域おこし協力隊として長野県上田市鹿教湯温泉に来たのは3年前。
もともと兵庫県の尼崎に住んでいた私にとっては、インフラ、地域性、景色、仕事内容まで全てが初めてのことでした。
思えば、臆病な私にしてはずいぶん大きな決断をしたものです。
こうして地域おこし協力隊として、鹿教湯温泉で無事に3年間を迎えられたことを嬉しく思います。
こういうときは、
「その道程はけっして平坦なものではなく~」とか、
「数々の苦難をこえて~」
なんて言葉でお話を盛るに限るのですが、
私自身はそんなに大した苦労をした覚えも、極めて理不尽な目にあったこともないのです。
ただ振り返ってみて遊園地を朝からパレードまで堪能したあとのように、
「あー楽しかった」と一言呟けるくらい。
それ程までに私の過ごした3年間はあっという間で、
気楽に、自由に、奔放な、
そして楽しくて豊かなものだったんでしょう。
私は地域おこし協力隊で「働いていた」のではなく、ただ「生活していた」んですよね。
先日、そんな私の活動を、報告会という形で地域の方向けに発表させていただきました。
資料をまとめるにあたって、過去の記録を捲っていくと、
自分がいかに成長していないのかわかります。
これは自虐を言っているのではありません。
私の心持ちは、この鹿教湯に来た時と何ら変わっていないという意味です。
この仕事をとおして、私は随分新しいことができるようになりました。
ポスターデザイン、司会、イラスト作成、イベントの企画……
上げだせばキリがありませんが、経験と技術という一面で、
たしかに私は成長しています。
ところが、鹿教湯温泉にきた頃と卒業を迎えるこの時に、
地域や世間への見方が変わったかと聞かれれば、あまり変わっていません。
地域で過ごしている中でも、
自分の考え方や感じ方を矯正されるようなことは一度もなく、
「長谷川篤」という一個人を地域は迎え入れてくれたからです。
私は「個性」という言葉があまり好きではありません。
というよりは「私はこのような人間だから」と開き直るために、
「個性」という言葉を使う人はあまり好きではないのです。
「個性」とは他人が認識する自分の特質なわけで、
自分の思っている「個性」を押し売りしても、他人から見られる「個性」と乖離するのは当たり前ですからね。
私は今でも長野の冬は寒いから嫌ですし、車を運転するのは苦手ですし、
アイドルの名前は知らないし、居酒屋でテレビ番組に文句をついています。
そんな私を地域が受け入れてくれたからこそ、
私も安心して、今までどおりの自分として鹿教湯温泉で生活してこれたのです。
報告会には多くの方々が出席してくださいました。
内容に満足していただけたかは、人によりけりですが、
私自身としては、3年間手がけたものをキレイに紹介できたのではないかと思っています。
最後に3年間、この「丸子ぽろり。」を読んでくださり、
本当にありがとうございます。
このブログは鹿教湯温泉に来て、一番始めに行った仕事でした。
いままで日記も3日続いたことのない飽き性の私が、
毎週記事を更新していくのは大変な作業であり、そして楽しい作業でありました。
「地域の魅力の発信」とは聞こえが良いですが、実際は私のさじ加減で、
ただ自分が満足できる記事を書いていたようにも思えます。
それでも、笑って読んでくださっていた方がいると私はとても嬉しいです。
改めまして3年間、「丸子ぽろり。」ご愛読いただきまして、
誠にありがとうございました。
最終回じゃないぞよ もうちっとだけ続くんじゃ。